日本比較文学会東北支部のページ

日本比較文学会の東北支部活動について情報発信して参ります。

[ワークショップ] 企画趣旨

テーマ《近代日韓トランスカルチャーの諸相を考える》

             コーディネーター・司会  梶谷崇(北海道科学大学)


 今回のワークショップのテーマは、月並みな表現、わかりやすい表現を用いるならば近代における日韓文化交流ということになるだろう。しかし、テーマタイトルにはあえて「文化交流」という文言は用いていない。
 「日本文化」、「韓国文化」といったような一国名を背負った文化同士の「交流」という観点は、この時代にはあまり意味をなさないだろう。なぜなら支配—被支配という関係性においては、互いの文化を紹介し、理解し合うといったような今日頻繁に用いられるような「文化交流」いう状況は、国家政策的な視点からでなければ、なかなか想像できないものだからである。むしろ、文化の担い手たちは日本と朝鮮(あるいはその他の植民地地域)という複数文化を前に、それらの文化に対しどのように接し、受けとめ、自らの創作に取り込んでいくのか、こういった問題に直面していたのではないだろうか。そしてそのような状況の中で、自らの文化的アイデンティティをどう保持していくのか。日韓の文化および文化の担い手たちは、以上のようないわば複数の文化が混交するような状況の中で、それぞれの作品や表現を新たに生み出していった、と考えるべきなのではないか。
 今回のワークショップでは、以上のような問題の捉え方のもと、「日本と韓国はかつてこのような文化交流をしていた」、あるいは、「両国文化の間でこのような困難を抱えていた」というような日本/韓国という二項図式は前提としない。また扱う時期も両国においてモダニズムが花咲き、多種多様な文化思潮が入り乱れた時期から、一転して戦争へと突入する中で人々の表現が大きく制限される1930年代から1945年の終戦に至るまでの15年間に焦点を絞る。そうすることで、個々の芸術家が複数の文化的状況の中で何をなしたのかに注目しつつ、その上で日本と韓国がどのように表象され、演じられ、消費されていたのかを、浮き彫りにしたい。以上が本ワークショップのねらいである。

[研究発表]要旨④

小川洋子と『アンネの日記』 ―「薬指の標本」『猫を抱いて象と泳ぐ』など―

                          中村三春(北海道大学


 小川洋子(1962-)の創作活動における原点の一つとして『アンネの日記』(1942-1944、1947出版)のあることが知られている。だが、それはいかなる原点なのか。
 「初めて『アンネの日記』を読んだ時、私は彼女と同い年の十三歳だった。小説を書きはじめ、作家となり、その間もずっと日記を読み続けてきた」と、小川は2000年開催の「アンネ・フランク展に寄せて」(『博士の本棚』所収、2007・7)において述べている。その言葉の実証として、小川はアムステルダムのアンネ一家の隠れ家を訪問した旅の記録である『アンネ・フランクの記憶』(1995・8)を発表している。「わたしは今でも生きて、言葉の世界で自分を救おうとしている。そのことをアンネ・フランクに感謝したい気持ちでいる」と同書で吐露するほど、アンネの占める位置は大きい。
 アンネ・フランク(1929-1945)は、ナチスの追及を恐れ、二年間に及びアムステルダムの隠れ家で暮らした。日記に描かれたのは、このような事情から余儀なく自己を監禁下に置いた少女の生活である。そして小川文芸における主要な人物の境囲とは、紛れもなくこのような自己監禁にほかならない。
 だが、アンネ、またサルトル安部公房、大江における監禁状況と、小川におけるそれとは大きく異なっている。小川の人物は、あたかも監禁下に自分を置くことを望んでいるかのようだ。「薬指の標本」(『薬指の標本』所収、1994・10)の「わたし」は、弟子丸氏の標本室に自ら封じ込められることを願い、『猫を抱いて象と泳ぐ』(2009・1)のリトル・アリョーヒンは、チェス人形「リトル・アリョーヒン」の内部に隠れないとチェスを指すことができない。このような監禁の持つ文芸的な意味とは何か。本発表では、小川がアンネから受け継ぎ、変異させた要素の幾つかを確認してみたい。

[研究発表]要旨③

村上春樹の〈アメリカ〉

  ―『やがて哀しき外国語』、あるいは「人はなぜ走るのか」をめぐって―

                            塩谷昌弘(盛岡大学


 村上春樹『やがて哀しき外国語』(1994)は、約2年半にわたるアメリカ滞在の経験を記したエッセーである。このエッセーは、村上の日本への「コミットメントの予告」(今井清人)であるとか、江藤淳の反復(大塚英志)だといった指摘があるが、こうした指摘はこのテクストの複雑さを視野に入れたものではない。というのも、このエッセーはもともと初出の段階では「人はなぜ走るのか」というタイトルであり、さらに初出→単行本→文庫本と改稿が加えられているからである。初出タイトルからは〈アメリカ〉と〈走ること〉を接合させようとしていたことがうかがわれるが、それが明確に語られるわけではない。〈走ること〉については、村上の『走ることについて語るときに僕の語ること』(2007)を想起することもできる。本発表は、こうした改稿や他のテクストとの連環を起点にして、村上春樹の〈アメリカ〉の様態を探り、その上で源泉学(ティーゲム)の視点から、村上文学における滞在記、旅行記について検討してみたいと考えている。

[研究発表]要旨②

ヴァルター・カレと漱石 共鳴する孤独 ―『行人』のドイツ語句をめぐって―

                               飛ヶ谷美穂子


 夏目漱石『行人』の「塵労」(三十六)の中に、主人公一郎とその友人Hが旅先の修善寺の山中で、「Keine Brücke führt von Mensch zu Mensch.(人から人へ掛け渡す橋はない)」「Einsamkeit, du meine Heimat Einsamkeit!(孤独なるものよ、汝はわが住居なり)」というドイツ語のやりとりを交わす場面がある。このうち後者はニーチェツァラトゥストラ』第三部を出典とすることが夙に知られているが、前者については作中「独逸の諺」とあるにもかかわらず該当することわざは確認されず、典拠未詳とされてきた。
 論者はさきに2014年度全国大会において、この問題について口頭発表を行い、1910~1920年頃すなわち第一次大戦前後のドイツでは、文学・社会学・哲学などさまざまな分野にこの語句の用例が確認でき、さらにその背景として、ヴァルター・カレWalter Calé(1881-1904)という夭折詩人の存在があることを指摘した。
 今回の発表では、その後入手した資料と作品の分析をもとに、カレに関する同時代評なども参照しつつ、問題の詩句がどのように受容され伝播されたかを検証し、漱石が直接カレの遺稿集Nachgelassene Schriften (1907)を読んだ可能性は低いにもかかわらず、この語句を『行人』に用いたことの意味を探りたい。併せてマックス・フリッシュアイゼン=ケーラー『学問と現実』(1912)などを手がかりに、当時のドイツ知識人たちと漱石が共有していた心性についても考察するつもりである。

[研究発表]要旨①

美女と野獣」の話型からみる『紅の豚』 

                   田中理紗(東北大学大学院博士後期課程)


 「美女と野獣」型の物語には大きく二つのタイプがあり、まず一方には18世紀フランスのヴィルヌーヴ夫人およびボーモン夫人のテクストに基づく「美女と野獣」の翻案作品(絵本、実写映画、ディズニー、ミュージカル)がある。他方で、より広い意味で「美女と野獣」の類型といえる物語群があり、それは古代ギリシャにさかのぼり、現在もいろいろなメディアで存在している。
 後者のタイプにあたる「美女と野獣」の話型を取り入れた作品の中には、「野獣が元の人間の姿に戻り美女と結ばれる」というハッピーエンドとは異なる結末の作品も存在する。その一つが、長編アニメーション映画『紅の豚』(宮崎駿、1992)である。『紅の豚』には、「美女と野獣」のテーマである「野獣が美女から愛されることで元の人間の姿に戻る」という構図がありつつも、呪いが解けたのか、美女と結ばれたのかは曖昧にされている。また、そこに戦争体験のトラウマが「人間の愛」によって癒されるというモチーフが加えられている。
 本発表では、「美女と野獣」のテーマがどのように活用されているのかに注目することで、現代文化におけるおとぎ話「美女と野獣」の変遷の一端を明らかにしたい。

第5回比較文学研究会のお知らせ

研究会のご案内です。

日本比較文学会北海道支部・東北支部共催

第5回比較文学研究会を以下の要領で開催致します。

皆様ふるってご参加ください。

(一般来聴歓迎)

 

       記

 

・日時 2016年3月27日(日)10:30~17:35

・会場 藤女子大学(札幌北16条キャンパス)551番教室

・交通アクセス→藤女子大学|Fuji Women's University

 


総合司会 越野 剛
【開会の辞】(10:30)  
北海道支部長 種田和加子
【研究発表】(10:35~12:05、13:00~14:30)
〈研究発表1〉
美女と野獣」の話型からみる『紅の豚
田中理紗(東北大学大学院博士後期課程)
司会 井川重乃
〈研究発表2〉
ヴァルター・カレと漱石 共鳴する孤独 ―『行人』のドイツ語句をめぐって―
飛ヶ谷美穂子
司会 加藤健司

【昼食休憩】(12:05~13:00)
〈研究発表3〉
村上春樹の〈アメリカ〉 ―『やがて哀しき外国語』、あるいは「人はなぜ走るのか」をめぐって―
塩谷昌弘(盛岡大学
司会 平野 葵
〈研究発表4〉
小川洋子と『アンネの日記』 ―「薬指の標本」『猫を抱いて象と泳ぐ』など―
中村三春(北海道大学
司会 高橋由貴

【ワークショップ】(14:45~17:30)

テーマ《近代日韓トランスカルチャーの諸相を考える》
〈ナビゲーション&パネリスト紹介〉 
コーディネーター・司会 梶谷 崇(北海道科学大学)
〈報告1〉
村山知義と「春香伝」   
韓 然善(北海道大学院博士後期課程)
〈報告2〉
韓国モダニスト詩人たちにとっての〈日本〉 ―鄭芝溶、金起林、李箱のケース―
佐野正人(東北大学
〈報告3〉
1940年代の日本画壇と「崔承喜」舞踊画をめぐって
李 賢晙(小樽商科大学

〈総合討論〉

【閉会の辞】(17:30)  
東北支部長 伊藤 豊   

【お知らせ】[東北大学国際文化研究科]シンポジウム「日韓の相互認識と歴史認識 ―戦後の映画と文学を中心に―」

下記イベントについて、当支部会員の佐野正人氏よりご案内がありましたのでお知らせ致します。

 

シンポジウム「日韓の相互認識と歴史認識ー戦後の映画と文学を中心にー」

日時:2月13日(土) 13:00~17:00
場所:東北大学国際文化研究科1F会議室

プログラム:
・佐野正人 「 戦後の日韓の映画における主体の形成 ―崔寅奎『自由万歳』と黒澤明『わが青春に悔なし』― 」
・波潟剛 「 近現代福岡における韓国/朝鮮をめぐる認識 ―研究事例紹介―」
・チョン・ジョンファ 「1960年代韓国青春映画の地形図 ―剽窃と翻案の間―」
・ハム・チュンボム 「解放初期韓国映画界の再建と再編、 そして植民地朝鮮の過去