日本比較文学会東北支部のページ

日本比較文学会の東北支部活動について情報発信して参ります。

[支部会員書籍情報]江口真規著『日本近現代文学における羊の表象 漱石から春樹まで The Representation of Sheep in Modern Japanese Literature』

・江口真規著『日本近現代文学における羊の表象 漱石から春樹まで The Representation of Sheep in Modern Japanese Literature』、彩流社、2018年1月

・書籍情報 日本近現代文学における羊の表象 | 彩流社

 

【本書目次】

序章
第1章  夏目漱石三四郎』―「迷羊」の起源とその解釈
第2章  江馬修『羊の怒る時』―関東大震災の怒れる民衆
第3章  らしゃめんの変容―唐人お吉物語から「人間の羊」まで
第4章  安部公房の植民地経験と羊―満洲の緬羊政策と牧歌的風景の構築
第5章  村上春樹羊をめぐる冒険』―「迷羊」の継承と羊に取り憑かれた者たち
終章

東北支部会員である江口真規氏の単著が刊行されました。夏目漱石、江馬修、安部公房大江健三郎村上春樹といった日本近代文学を「羊」の表象に着目して論じる、アニマル・スタディーズとしてもエコ・クリティシズムとしても興味深い好著です。

 

第17回比較文学研究会(読書会)趣旨文

報告 

 仁平政人「趣味の旅行」、その多様性と葛藤―『旅行のモダニズム』をひらく」

                                

趣旨 (司会・文責 佐藤伸宏

 今回の日本比較文学会東北支部主催比較文学研究会は、昨年度に引き続き読書会の形式で開催します。支部役員会の協議により、読書会の対象として赤井正二氏の著書『旅行のモダニズム 大正昭和前期の社会文化変動』(ナカニシヤ出版、2016・12)を取り上げることになりました。同書は、思想史・社会学を専門とする立場から、近代日本の旅行文化の構築について、社会や文化、メディアや制度等の多様な観点をとおして考察を加えた成果ですが、もとより旅行は洋の東西、時代の新古を問わず文学が描き続けてきたテーマに他なりません。この読書会は、同書の議論を発端として、旅行をめぐる諸問題について文学の側から様々に捉え直し、自由に語り直すことを意図しています。読書会の構成としては、発題者からの問題提起と参加者による自由な意見交換によって全体を構成する予定です。発題者は仁平政人さんにお引き受けいただいております。

 仁平さんには、本書の内容を幾つかの章に力点を置く形で簡略に整理しながら、(1)川端康成における「旅」の問題の読み直し、(2)『旅行のモダニズム』では取り上げられない高度経済成長期における「日本再発見」の文脈と旅行メディアおよび文学者との関連、という2点に結び付ける形で、同書の議論を緩やかに開いていただく予定です。その後、会場全体での意見交換、討議に入ることにいたします。東北支部の企画にふさわしく、参加者全員にご発言いただけるような、自由で活発な議論の場といたしたく考えております。

 『旅行のモダニズム』と題された書籍を読みながら、古今東西の文学と旅に関わる種々の問題について改めて考える機会となれば幸いです。

日本比較文学会 第17回比較文学研究会(読書会)のお知らせ

下記の要領で比較文学研究会を開催いたします。詳細については後ほど告知いたしますが、支部会員のみなさまの多くのご参加をお待ち申し上げております。

 

               記 

日  時:    2018年3月24日(土) 

      15:00〜

会  場:    東北大学文学研究科(文学部棟)3階 中会議室

      *右サイトのC13の建物です→案内図 | 東北大学文学部・文学研究科

 テキスト: 赤井正二著『旅行のモダニズム 大正昭和前期の社会変動』(ナカニシヤ出版)

[事務局より]

・大会に先立って、11時40分より、同会場にて役員会を開催致します。役員のみなさまはどうぞご参集ください。議題は別途お送り致します。

 

・大会・総会終了後、懇親会を開催致します。会場準備の都合もございますので、ご出席いただけます方は、11月2日(木)までに事務局・仁平政人(連絡先はウエブ右上参照)にまでご連絡下さい。

[特集 自然表象と〈モノ〉の翻訳]発表要旨

川端康成伊豆の踊子』における自然の表象 ―英訳との比較から―

                   秋田県立大学    江口 真規

 

 川端康成の『伊豆の踊子』(1927)は、エドワード・サイデンステッカーによって 1955 年に The Izu Dancer として英訳された。原文と訳文を比較した際の大きな違いの一つは、自然の表象である。主 人公と老人や旅芸人との交流の場面が大幅に削除されることにより、擬人化された自然の表現や、 老人や死んだ赤子につきまとう「水」のイメージ、鬱蒼とした山、鳥鍋の様子など、そこに含まれ る多義的な自然表象は姿を消している。先行研究でも指摘されてきたように、この英訳の初出であ る The Atlantic Monthly の別冊誌が反共的な性格をもつ冷戦プロパガンダの下に出版されたことを 考えれば、自然表象もまた、日本を海外に紹介するエキゾチックな明るい旅行記の機能を補強して いたといえるだろう。原作に描かれた伊豆の自然は翻訳によって変化することになるが、この点に ついて本発表では、エコクリティシズムにおける場所の概念と翻訳という問題を提起したい。

[特集 自然表象と〈モノ〉の翻訳]講演要旨

 

東西の〈蟋蟀〉をめぐって ―芥川「羅生門」とエリオット『荒地』の場合―

                      筑波大学名誉教授   荒木 正純 氏

 

 本発表は、芥川「羅生門」(1915 年)の〈蟋蟀〉とT.S.エリオット『荒地』(1922 年)の〈cricket〉 のテキスト内における存在性を追究し、東西の〈蟋蟀〉に関する捉え方の差異を呈示しつつ、芥川 とエリオットのテキスト生成の実態に迫る。

 前半では、「羅生門」の「蟋蟀」について、吉田精一(1970 年)、海老井英次(1982 年)、首藤基澄(1997 年・2008 年)の読みを検証したのち、荒木(2010 年)の読みを呈示する。そ こでは、この語が明治期の「蟋蟀(きりぎりす)」言説、とりわけ明治期に英語から多数翻訳された イソップ寓話「蟻と蟋蟀」を連想させることを検証したのち、この寓話を使用した多くの「修身」 言説に対する芥川の姿勢を読みとることになる。

 後半では、『荒地』の〈cricket〉をとりあげ、まずこの語が日本語訳では「蟋蟀」と訳され、多 くはとりわけその「声」との関連から読まれているが、典拠の旧約聖書ではこの語は食べ物と位置 づけられていることを指摘する。ラテン語ウルガタ聖書で対応する語「オフィオマクス (ophiomachus)」は、「蛇使い座」と「アスクレーピオス」を意味し、後者は〈アプロディーテとヒ ポリトゥス〉神話の重要な登場人物であり、エリオットはこの神話を読みとらせる装置として 〈cricket〉を使用したことを検証する。