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[研究発表]要旨②

太宰治チェーホフ受容 ―「火の鳥」を例として― 唐雪(北海道大学大学院)


 太宰治におけるチェーホフ受容はこれまで主に『斜陽』と『桜の園』の関連性を中心に論じられてきた。未完の長編小説「火の鳥」(『愛と美について』1939・4、竹村書房)について、柳富子は女優・高野幸代には「多分にニーナを想起させるものがある」とし、「劇作家と同棲する点もニーナとトリゴーリンの関係が下敷きにされた推定され」る(『斜陽』について―太宰治チェーホフ受容を中心に」、『早大比較文学年誌』第五号1969・3)とチェーホフの四幕の喜劇『かもめ』(1896)の影響を指摘している。

 また、「火の鳥」を「戯曲的言説に仕立てた」(「『火の鳥』―<人の役に立ちたい>女優―」、『国文学解釈と鑑賞』72、2007・11)という木村小夜の指摘は示唆的である。この意味で、『かもめ』のニーナがトレープレフの創作した劇を演じると同様、「火の鳥」も高野幸代を主役に据える『三人姉妹』(1900)が上演される、つ
まり一種のメタ演劇ともいうべき性質を備えているといえる。さらに、ヴェルシーニンの登場に辟易し、「まるで三木朝太郎そつくり」という善光寺助七の発言から、『三人姉妹』と本作の浅からぬ関係が窺い知れる。

 しかし、一見したところ、「作家はロマンスを書くべきだ」(「一日の労苦」、1938・3)と主張する太宰とリアリズム演劇を確立した先駆者であるチェーホフとは作家としての資質が相当異なり、その間に容易に超えられない懸隔があるはずだ。にもかかわらず、太宰が生涯にわたってチェーホフにことのほか心酔したのはなぜなのか。ここでは、「火の鳥」に見る『かもめ』と『三人姉妹』の受容を考察することによって、太宰とチェーホフの根本的近似性と決定的差異をつきつめてみる端緒としたい。