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[ワークショップ]報告③

徳川夢声の「軟尖」—1930 年代ユーモア小説の一側面 成田雄太(東北大学非常勤)

 

 1930 年代の日本においてユーモア小説は、『ユーモアクラブ』などの雑誌の創刊(春陽堂、1937 年)、『現代ユーモア小説全集』(アトリエ社、1935-36 年)のような全集本の刊行、「ユーモア作家倶楽部」(1936 年)の結成など、一つの流行となっていた。佐々木邦獅子文六を中心としたこのブームは、当時の出版界の状況や時局、他メディアからの影響など、非常に複雑な事情を反映したものと言えるだろう。
 当時映画説明者・漫談家として既にその名を広く知られていた徳川夢声はこの時代に多くのユーモア小説を発表しており、流行を担う主要な作家の一人であった。夢声の小説は「当代ナンセンス文学の第一人者[…]あらゆる「笑」ひを満載して踊り出た」と広告されていたことが端的に示すように「ナンセンス」な「笑い」の文学としての認知を得ており、夢声本人も「軟尖」と当て字をすることによって、自らの作品をそのように位置付けていた。
 しかしながら、映画説明者・漫談家など、話芸の名手としての側面が優先的に語られることによって、「ナンセンス」とされる夢声のユーモア小説の内実が検討される機会はこれまでに非常に少なかったと言える。本発表は、1930 年代の日本におけるユーモア小説の流行がどのような文脈を持っていたかを整理した上で、流行の中心的な担い手であった夢声の小説の具体的な影響源・作品的背景の考察を行うものである。それによって明らかにしたいことは、1930 年代のユーモア小説における「笑い」、中でも「ナンセンス」ものと言われる型の「笑い」がどのような特徴を持っていたのかということと、それがどのような系譜に位置付けられるのかということである。
 夢声が小説を書くにあたって重要な役割を果たしたのは、彼の最も親しい友人の一人東健而であった。東は海外のナンセンス小説をいち早く日本に紹介しており、そのような作品が夢声の小説に影響を与えていると考えられる。また、漫談や映画説明といった他メディアからの影響も指摘し、この時代におけるメディア間の相互的な影響関係についても言及する。