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[ワークショップ報告]要旨①

村山知義と「春香伝」   
                   韓然善(北海道大学大学院博士後期課程)

    
 1937年、演出家として活躍した村山知義は、朝鮮のことを日本人に紹介するため、ある作品の脚色を朝鮮人作家張赫宙(チャンヒョクジュ)に依頼する。それは、朝鮮古典作品の中でよく知られている「春香伝(チュンヒャンジョン)」である。「春香伝」は「パンソリ」(唱劇)系列の小説で、韓国文学史の中でも多く取り上げられている作品の一つである。唱劇をはじめとして、演劇、映画、オペラなど、現在も様々な形で紹介されている。
 1938年3月、新協劇団による『春香伝』(張赫宙脚色、 村山知義演出)は築地小劇場で上演され、大成功し、朝鮮ブームのきっかけとなったと言える。新劇「春香伝」を題とした座談会が何度も開催されており、雑誌『モダン日本』では、臨時増刊号として朝鮮版が発刊されるなど、「春香伝」ブームとなった。同年10月、新協劇団の『春香伝』は朝鮮に赴き、巡回公演を行い、成功した。しかし、劇の形式においては、台詞は日本語を使い、日本人俳優が演じ、村山の演出によって歌舞伎の雰囲気が加えられ、朝鮮ブームの裏面も見て取れる。
 ところで、当時「春香伝」というテクストは日本と朝鮮の作家らによって再生産されていたと言っても過言ではなかった。村山もそれに応じるように、『文学界』で「シナリオ「春香伝」」(1939年1月)を発表する。この創作は朝鮮人演出家柳(ユ)致真(チジン)の戯曲『春香伝』(1936)から影響を受けたというが、先行論では彼の創作活動について詳細に言及されてこなかった。本発表では、「春香伝」ブームをめぐって、帝国日本と植民地朝鮮の間で行き来した村山の活動を「シナリオ「春香伝」」から考察する。村山を帝国日本側の文化人といった政治性のみで断定するのではなく、彼のテクストに生成された朝鮮イメージを明らかにし、朝鮮と村山との〈文化交流〉をより総合的に見る。