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[シンポジウム]『種蒔く人』とフランス・ドイツ・ロシア――創刊100年後の検証――

[シンポジウム]14:35 ~ 16:55

『種蒔く人』とフランス・ドイツ・ロシア ―創刊100年後の検証― 

 

                  コメンテーター 高橋秀晴(秋田県立大学

[基調講演] 

第1次世界大戦と小牧近江

               北条常久(あきた文学資料館名誉館長)〈ゲスト〉

 

[報告1] 

小牧近江著 藤田嗣治挿絵 フランス語詩集『数詩篇』(フランス語原題Quelques poèmes ケルク・ポエム)に探る日仏美術文学の交錯

                     阿部邦子(国際教養大学)〈ゲスト〉

 シンポジウムでは、プロレタリア文学雑誌『種蒔く人』発刊(第1号1921年)の功労者で仏文学者・社会学者の小牧近江が、エコール・ド・パリの寵児となる画家藤田嗣治の挿画入りで1919年にパリで出版した自著フランス語詩集『詩数篇』【原題フランス語ケルク・ポエム Quelques poèmes】を紹介し、日仏比較文学のコンテクストで考察する。

 この210部の限定出版の詩集は小牧が10年の在仏生活と決別し帰国する間際に印刷された。小牧はフランスの手土産として持ち帰ることができたが、焼失してしまう。今まであまり取り上げられることもなく、殆ど世に知られていないこの詩集誕生の時代背景、小牧近江と藤田嗣治のパリでの交流、そして日仏美術文学作品の先行例との関連に触れつつ、発表者の専門分野である視覚芸術に文学・思想を加えた複合的視点から、日仏の美術と文学の交錯の深層に光を当てるつもりである。

 

[報告2] 

有島武郎と『種蒔く人』創刊の地・秋田―1922年8月の秋田訪問を視座として

             杉淵洋一(ノースアジア大学明桜高等学校非常勤講師)

 晩年の有島武郎は、1922(大正11)年8月29日から31日までの3日間にわたって、札幌農学校時代の恩師の葬儀のついでに秋田を訪れ、自身の評論『惜みなく愛は奪ふ』と私淑していた詩人・ウォルト・ホイットマンについての講演や、雑誌『種蒔く人』創刊の地である土崎湊の見学などを行っている。講演の終了後に行われたロシアの飢饉への募金の呼びかけは、反戦平和を標榜する『種蒔く人』への有島の強い共感を物語るものであろうし、滞在期間中の『種蒔く人』を創刊した金子洋文、今野賢三等との交流は、有島がいかにこの雑誌と近い関係にあったかを如実に物語るものであろう。そこで本発表では、有島武郎の秋田滞在期間中の日記(「観想録」)や小牧近江を中心とする『種蒔く人』同人達による有島の援助についての証言を再検証しながら、有島のロシア飢饉への思いや、その思いが形成されて行った過程について、ざっくりとした見取り図のようなものを描ければと考えている。

 

[報告3] 

小牧近江と佐々木孝丸の翻訳作品に関する一考察

                   中村能盛(名古屋大学博士研究員)

 『種蒔く人』の誌面には、小牧近江と佐々木孝丸によってマルセル・マルチネの詩やアンリ・バルビュスの翻訳が掲載されていた。二人は、1920年代以降、フランスを中心とした文学作品の翻訳・出版も手掛けるようになっていたのだ。例えば、佐々木孝丸は1922年に『赤と黒』の全訳を、小牧近江は佐々木孝丸との共訳で1924年に『クラルテ』の全訳を行っている。

 1890年代から1910年代までは仏和辞書が2種類しかなかったが、1922年に白水社から『模範仏和大辞典』が出版された。フランスに10年近く滞在していた小牧近江も、日本語訳の際の一助としていた旨を回想している。

 本シンポジウムでは、欧文で書かれた実際の原書と当時の日本の仏和辞書などを手掛かりとして、佐々木孝丸と小牧近江が手掛けた翻訳作品について考察する。そして同時代における西洋文学の翻訳状況を明示した上で、佐々木孝丸と小牧近江の翻訳作品の特徴を解明することを目標としたい。