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日本比較文学会東北支部のページ

日本比較文学会の東北支部活動について情報発信して参ります。

第14回比較文学研究会 発表者募集のお知らせ

 第14回比較文学研究会を7月31日(日)午後、仙台市民会館視聴覚室(仙台市地下鉄勾当台公園駅徒歩15分)において開催いたします。

 つきましては研究発表の募集を行いますので、題目(仮題でも可)と要旨(400字程度)を添えて、下記の支部事務局までお申し込み下さい。奮ってご応募下さいますよう、お願い申し上げます。

 

1.発表申し込み締切 2016年6月24日(金)

2.発表申し込み先 プロフィール欄記載の日本比較文学会東北支部事務局

 

*なお、発表者で常勤でない方には、支部としまして交通費の補助をさせていただく予定です。お含みおき下さい。

*発表の申し込みをいただいた方には確認のメール(または郵便)をお送りします。

本年度の比較文学研究会のお知らせ

予告

研究会のお知らせです。

本年度の東北支部の比較文学研究会を以下のように開催する予定です。

 

・日時 平成28年7月31日(日) *日曜開催に変更になりました。ご注意願います 
    午後~(発表者の人数により開始時間が異なります)

・場所 仙台市民会館 視聴覚室

 

発表者を若干名募りますので、ふるってご応募願います。

 

なお、本年度の東北大会は11月26日土曜日、福島大学で開催予定です。こちらもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

[事務局より]

〇第5回比較文学研究会の懇親会について

第5回比較文学研究会につき、下記のように懇親会参加者を募集します。ご希望の方は3月18日(金)までに、東北支部の事務局(右上プロフィール覧参照)までメールにてお申し込みください。

日時 2016年3月27日(日)18:30開始
会場 海の音 

           札幌市中央区北5条西5丁目 JR55SAPPORO7階

           tel.011-221-8077
会費 一般5,000円 学生3,000円

 

〇第5回比較文学研究会の当日の昼食ご注文について

第5回比較文学研究会につき、昼食弁当のご注文を下記のように承ります。(当日は、会場校の藤女子大学内外に昼食を提供するお店がありません。)
ご希望の方は3月21日(月)までに、支部事務局までメールでお申し込みください。

・昼食弁当:お弁当の価格 お弁当540円、伊藤園お~いお茶(紙パック250ml)97円(いずれも税込)


・お弁当の種類(以下よりお選びください)
まぐろ串カツ弁当
ミックスフライ弁当
野菜コロッケ弁当
海老フライ弁当
イカフライ弁当
豆腐ハンバーグ弁当

・お弁当の写真・内容詳細は、次の北大生協HP:大学生協ケータリングに掲載されています。(540円弁当限定)

・ご注文方法:必ずお弁当の種類・個数、お茶の個数、氏名を明記して同じく支部事務局(プロフィール欄参照)までメールにてご注文ください。

 

[ワークショップ報告]要旨③

1940年代の日本画壇と「崔承喜」舞踊画をめぐって李賢晙(小樽商科大学
 戦前日本で活躍した朝鮮の舞姫崔承喜を表す様々な形容辞は、活躍の時期などにより、「半島の舞姫」「朝鮮の舞姫」または「世界の舞姫」「東洋の舞姫」など、しばしば異なるニュアンスで用いられていた。なかには崔承喜が自ら命名したものもあれば、新聞や雑誌などのマスコミが喧伝したものもある。植民地の芸術家として活躍した崔承喜が、日本の芸術家やメディアといった他者との関係の中で、自らの舞踊芸術を創り上げていった姿が示唆されているものと考えられる。こうした活動のなかで崔承喜は自分の舞踊を積極的に宣伝していく手段として、舞踊演目を絵画や彫刻などの美術作品として描かせ、展示していた。崔承喜が展開した舞踊芸術は、舞踊から美術へと新たなジャンルを生み出しながら、高い人気に支えられ戦前の日本文化のなかで謳歌されていたのである。
 崔承喜が日本で行った舞踊公演会で、今でも語り継がれている帝国劇場での二回の長期に亘る独舞公演は、舞踊演目から美術作品への転化と関連し検討すべき舞台である。まず、崔承喜の帝劇での二回に及ぶ長期独舞公演会が持つ意義は、崔承喜自らが目指す舞踊芸術を明確にし、それを長期独舞公演会という興行方式で披露し、大成功を収めた舞台であるという点にある。さらには、崔承喜舞踊画の制作時期が、1942年から1943年に集中し、その一つの結実として1944年の帝劇公演の際に、帝劇画廊で舞踊画が展示された点を合わせて考えると、上記の帝劇公演と、舞踊画の関係を切り離しては語れない。

[ワークショップ報告]要旨②

韓国モダニスト詩人たちにとっての〈日本〉 ―鄭芝溶、金起林、李箱のケース―

                            佐野正人(東北大学


 1920年代は、朝鮮と日本との間での人々の移動が急速に増加していく時期に当たっている。朝鮮から日本へ渡った朝鮮人の数は1923年に10万人を超え、1930年には298,091人と30万人に迫る勢いで増加を見せている。朝鮮人留学生の数も、同様にこの時期に急増し、1920年には828人だったのが1923年には1000人台に乗せ、2年後の1925年には2000人を突破、翌1926年には3,375人と急増しているのが見られる。
 このような朝鮮・日本間での急速な人流の拡大は、多様な経験の場としての<日本>を生み出したものと考えられる。労働者から留学生までの多様な階層の人々が<日本>を経験する中で、それまで政治的な色合いが濃かった<日本>での経験もまた多様な色合いを持った文化的体験としての意味合いを帯びていくようになる。
 本発表ではその中でも九人会というモダニズム詩人のグループのメンバーたちを取り上げ、彼らの<日本>体験のあり方を再考してみる。金起林(日本大学芸術学部、東北帝大英文科に留学)、鄭芝溶(同志社大学英文科に留学)、李箱(晩年に東京に渡航し、そこで短い一生を終える)はそれぞれ<日本>と深いかかわりを持ち、またそれぞれ独自のかかわりを持ったことで特徴的である。
 特に金起林が1936年に東北帝大の英文科に留学に行った時に、後輩でもあった李箱が強い嫉妬と羨望を見せ、「女に対する嫉妬とは比較することもできない」ような嫉妬を感じたと述べていることは印象的である。李箱自身その後まもなく、東京へと渡航し、そこで執筆活動をしながら短い一生を終えている。しかし李箱にとって東京は、期待したような近代的都市ではなく「表皮的な」近代が輸入されただけの都市として、深い失望を抱かせるものでもあったのである。
 彼ら3人のケースを再考することは、1920年代以降の多様化していった<日本>体験の意味を再考することにつながるものであり、「植民地ー宗主国」といった政治的なニュアンスからある程度自立したものとして<日本>体験があったことを示すことにつながるものと思われる。その意味で彼らの体験は現代的な意味に開かれたものでもあったのである。

[ワークショップ報告]要旨①

村山知義と「春香伝」   
                   韓然善(北海道大学大学院博士後期課程)

    
 1937年、演出家として活躍した村山知義は、朝鮮のことを日本人に紹介するため、ある作品の脚色を朝鮮人作家張赫宙(チャンヒョクジュ)に依頼する。それは、朝鮮古典作品の中でよく知られている「春香伝(チュンヒャンジョン)」である。「春香伝」は「パンソリ」(唱劇)系列の小説で、韓国文学史の中でも多く取り上げられている作品の一つである。唱劇をはじめとして、演劇、映画、オペラなど、現在も様々な形で紹介されている。
 1938年3月、新協劇団による『春香伝』(張赫宙脚色、 村山知義演出)は築地小劇場で上演され、大成功し、朝鮮ブームのきっかけとなったと言える。新劇「春香伝」を題とした座談会が何度も開催されており、雑誌『モダン日本』では、臨時増刊号として朝鮮版が発刊されるなど、「春香伝」ブームとなった。同年10月、新協劇団の『春香伝』は朝鮮に赴き、巡回公演を行い、成功した。しかし、劇の形式においては、台詞は日本語を使い、日本人俳優が演じ、村山の演出によって歌舞伎の雰囲気が加えられ、朝鮮ブームの裏面も見て取れる。
 ところで、当時「春香伝」というテクストは日本と朝鮮の作家らによって再生産されていたと言っても過言ではなかった。村山もそれに応じるように、『文学界』で「シナリオ「春香伝」」(1939年1月)を発表する。この創作は朝鮮人演出家柳(ユ)致真(チジン)の戯曲『春香伝』(1936)から影響を受けたというが、先行論では彼の創作活動について詳細に言及されてこなかった。本発表では、「春香伝」ブームをめぐって、帝国日本と植民地朝鮮の間で行き来した村山の活動を「シナリオ「春香伝」」から考察する。村山を帝国日本側の文化人といった政治性のみで断定するのではなく、彼のテクストに生成された朝鮮イメージを明らかにし、朝鮮と村山との〈文化交流〉をより総合的に見る。