今大会は、会場と、オンライン会議用ソフト「Zoom」を使用したオンラインでの開催を併用する形式で行います。オンラインでの参加を希望される方は、下記の参加フォームのURL、もしくはQRコードより参加登録をお願いいたします。「Zoom」の参加URLについては、研究会の前日までにお知らせいたします。
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▼指定討論者 姜惠彬(医療創生大学)
▼発表者 大野建(北海道大学大学院)
村上春樹「土の中の彼女の小さな犬」における戦後の階級―スコット・フィッツジェラルド「リッチ・ボーイ(金持の青年)」との比較から―
村上春樹「土の中の彼女の小さな犬」(『すばる』1982・11)は裕福な若い女が抱える生きづらさを第二次世界大戦後の階級の問題として描き出す。これは村上も翻訳しているF. S. Fitzgerald “The Rich Boy” (Red Book. 1926/1-2)が第一次世界大戦後の没落する上流階級として金持の青年を描いたことと類比的である。高級リゾートホテルの消滅や親の失職による私立高校退学といった1982年の時点でバブル崩壊を予見していたかのような内容の「土の中の彼女の小さな犬」は、村上の戦後日本社会へのまなざしを検討する上で興味深い。また、村上が後に崩壊する1980年代の好況をフィッツジェラルドが経験した1920年代に重ね合わせて見ていたことは周知の通りである。本発表は戦後の日本文学にアメリカ文学を持ち込む村上の試みの一端を明らかにすることも目指す。今後の村上とフィッツジェラルドの比較研究を押し進める方途を探りたい。
▼指定討論者:中村建(北海道大学大学院)
▼発表者:廣瀬航也(宮城教育大学)
明治後期のボードレール ——永井荷風『珊瑚集』までの道程——
明治から大正期にかけてのフランス詩の翻訳は、上田敏『海潮音』(本郷書院、1905年10月)、永井荷風『珊瑚集』(籾山書店、1913年4月)、堀口大学『月下の一群』(第一書房、1925年9月)を定点として語られてきた。永井荷風研究においても、ボードレールの受容はしばしば議論の対象になってきたが、その具体はもちろん、同時代的なボードレール受容の中での位置づけも未だ十分に検討されていない。本発表では、『海潮音』から『珊瑚集』に至るまでのボードレール受容史について、翻訳や批評の展開を辿りながらその諸相を明らかにするとともに、『珊瑚集』所収の翻訳テクストとその周辺の散文テクストがそこにどのように位置づけられるかを測定する。それにより、「遊歩」や「時間」といったボードレールの鍵概念が荷風テクストにどのように落とし込まれ、またそれにどのような意義があったのかを明らかにする。それは、日本近代におけるボードレール受容史の一端を明らかにすると同時に、明治後期から大正期にかけての荷風テクストの試みを評価することにつながるだろう。
日本現代小説における横書きレイアウト―文字・表記への意識および原稿との関係―
本発表では、日本近現代文学の書記空間における横書きの使用が、日本語の文字や表記への問題意識、ページの視覚性への意識、原稿作成媒体の変化などとの関係でいかなる意味をもってきたかを考察する。
日本語においては縦書きと横書きの併存が続いているが、小説は少数の例外を除き縦書き原則である。そのなかで、1995年の水村美苗の横書き小説『私小説from left to right』が、書物という形をとる以前の「文章を書く」環境、そして原稿作成の変革期をよく表していたことは、四半世紀を経た時点からははっきり認識することができる。本小説における横書きはまた、日米両文化、書き言葉と話し言葉、読むことと書くこととの自由な往還を可能にしている。一方、21世紀の日本小説における横書きレイアウトはどのような位置づけにあるのか、平野啓一郎、黒田夏子などの事例とともに検討する。
なお、現段階では構想に過ぎないが、明治期のローマ字実践もまた(横書きは必然にすぎないにせよ)、日本文学の横書きという文脈に含めて考えうるという点について述べる。
山田英生(早稲田大学大学院)
症例サド侯爵――澁澤龍彦における『黒いユーモア選集』受容について
シュルレアリスムや小ロマン派、あるいはエゾテリスムの日本への紹介者として名高い澁澤龍彦(1928-1987)の著述家としての出発は、アンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集』(初版1940年)との接触によって強く規定されていると言われてきた。マルキ・ド・サドに代表される『黒いユーモア選集』に収録されている作家たちにこだわりつづけた澁澤のキャリアを考えるのであれば、このブルトンによるアンソロジーから澁澤の仕事を理解しようとする発想は確かに自然なものではある。また、澁澤自身の自伝的な証言や、巖谷國士のような生前の澁澤と交流のあった文学者による証言もこの読解を支持してもいよう。
しかし、澁澤の最初の評論集『サド復活』(初版1959年)を比較文学的な手法によって詳細に検討するのであれば、澁澤の出発の別の様相が見えはじめる。そこではブルトンの「黒いユーモア」にかんするディスクールとともにそれとは別のなにかが、その淵源を隠蔽されつつ澁澤の過剰に装飾的なテクストを構築している。
本発表は、『サド復活』の分析に、『黒いユーモア選集』に加えて、モーリス・ブランショ、ジョルジュ・バタイユ、ピエール・クロソウスキーらのテクストとの比較対照を導入することで、上述したような澁澤の出発についての通説に対して別の見解を提示するものである。この作業によって最終的に、澁澤における『黒いユーモア選集』受容の独特な在り方を剔抉し、この選集から症例として取り出されたサドを語る際の手つきに顕著に見てとれる澁澤の奇妙な態度決定をテクストの分析から具体的に示すことを目指す。
Chaves Goncalves Pinto, Felipe(筑波大学大学院)
Augusto dos AnjosのEu(1912)と石川啄木『悲しき玩具』(1912)におけるメランコリーの文芸的な表現について
「メランコリー」というのは深刻な悲しみに陥る可能性があるあらゆる人間の根本的な悩みと、そこから生み出される社会問題との関連性が深いとみなされている。そのため、特定の時代、領域、国籍等の問題というよりも、人間の問題として扱われたほうが適切である。しかし、時代と社会の状況によって、メランコリーが多く生じやすいこともある。急激で刺激的な社会文化の変化と急速な技術の進歩であった19 世紀の転換期もそのような時代の一つの事例だといえる。
本発表では、19世紀から20世紀の転換期にブラジルと日本という対蹠地でそれぞれ同時代に生活を送っていた詩人であるAugusto dos Anjos(1884-1914)と石川啄木(1886-1912)をとり上げ、彼らの作品であるEu(『我』、1912)と『悲しき玩具』(1912)におけるメランコリーの文芸的な表現を簡潔に比較的に考察する