許 時嘉(山形大学)
1924年、アメリカ排日移民法案の衝撃を受け、日本国内において日華親善の概念を内包するアジア連盟論が急浮上し、政治団体の結成に至った。それに対して中国人や朝鮮人の民族運動家たちは日本を盟主とするアジア連盟の結成に断固として反対したが、台湾人民族運動家たちは日本の新聞雑誌から連盟結成の賛成論を積極的に転載し、連盟の結成に熱心な一面を示していた。
アメリカ排日移民法案は東アジア各地の輿論界に波紋を広げた。白人と黄色人種と
の対決不可避やアジア民族のしかるべき姿、日本帝国主義への批判など、各地の言説
は多岐にわたった。これらの言説の裏には、どのような思想連鎖または拮抗が生じて
いたのか。本発表は1924年6月インド詩聖・タゴールの日本訪問と同年10-11月中国儒
学者・辜鴻銘の日本・台湾訪問に焦点を合わせ、東洋思想を鼓吹するタゴールと辜鴻
銘の言論に対する中国・日本・台湾など各地の反応を考察し、同時代各地における思
想上の連動と対立の意義を考える。