日本比較文学会東北支部のページ

日本比較文学会の東北支部活動について情報発信して参ります。

日本比較文学会第84回大会のオンライン開催について(お知らせ)

2022年6月4日~5日に九州大学にて開催予定の日本比較文学会第84回全国大会は、現状を考慮してオンライン開催となりましたのでお知らせいたします。

 

参加方法につきましては、日本比較文学会のウエブページをご覧ください。

www.nihon-hikaku.org

こちらの支部ページでも、決まり次第お知らせいたします。

北海道支部・東北支部共催研究会 第6回比較文学研究会(3月27日)のオンライン参加用登録フォームのご案内

3月27日の共催研究会のオンライン参加用の登録フォームを作成いたしましたので、お知らせいたします。

 

 先にご案内しましたとおり、今年度の大会は会場とオンラインを併用する形で開催されます。オンラインでの参加をご希望の方は、下記のリンクからフォームに入り、お名前、メールアドレス等をご登録ください。

 

docs.google.com

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オンライン登録ORコード
 
 なお、オンライン参加用のURLや資料の入手方法につきましては、登録された方に前日までにお知らせいたします。
 
*会場での参加を予定されている方は、東北支部事務局(右上のプロフィール参照)までご一報願います。

[特集発表④]要旨

〈14:50 〜 15:15〉

日本新聞』とロシア・ソビエト文学―シベリア抑留者の文学空間―

溝渕園子(広島大学

 第二次世界大戦での日本の降伏が決定した後、極東ハバロフスクで刊行されたタブロイド版の『日本新聞』(1945年9月15日-1949年12月30日)は、シベリア抑留者にとって唯一の日本語新聞であった。ソ連陸海軍政治部の下におかれ、日本人捕虜の政治思想教育を目的としていたが、記事内容は政治・社会の他、文学も含まれている。各々の情報源は、当時のソ連と日本の双方の報道メディアとされ、発行に際しては日本人も参画した。本報告では、宣伝メディアとしての『日本新聞』の性質をふまえつつ、収容所という閉塞的な場が、情報を介してソ連国内や日本国内とつながることによって、そこにいかなる文学空間が立ちあらわれたのかを検討する。シベリア抑留者の間で共有されていた、文学的体験について議論するための手がかりを探りたい。

 

[特集発表③]要旨

〈14:25 〜 14:50〉

ドゥシェグープカの記憶——長谷川四郎『シベリヤ物語』と戦後日本

村田裕和(北海道教育大学旭川校

 長谷川四郎『シベリヤ物語』(1952年)には「ドゥシェグープカ」(Душегубка 移動ガス室)という言葉が出て来る。この言葉を使ったソ連軍の将校は、ドゥシェグープカを「巨大なる大量殺人装置」と説明していた。仔細に読めば本書にはドゥシェグープカの比喩的イメージが随所に散りばめられている。しかし、『シベリヤ物語』は「のんきな本」で、苦難のシベリア抑留体験を十分に表現していないという違和感が示されてきた。本多秋五は『物語戦後文学史』において、大岡昇平を対照的に浮かび上がらせる文脈の中でのみ長谷川四郎に言及しており、無視しえない存在でありながら位置づけの困難な作家とみられてきたように思われる。長谷川四郎の異質性は、現在に至るまで日露関係史そのものが忘却され、シベリア抑留の記憶がいまだ了解不可能なものとして歴史の片隅に投げ出されていることと深く関係しているのではなかろうか。『シベリヤ物語』の分析を通して戦後日本の忘却と無意識を考えたい。

[特集発表②]要旨

〈13:50 〜 14:15〉

マイナー文学者高木恭造が表象する満洲 ―エコクリティシズムの観点から―

SOLOMON JOSHUA LEE(弘前大学

 本発表では、高木恭造文学における満洲の表象について考察する。高木は福士幸次郎の下で地方主義を教わり、地方語による詩集『まるめろ』を1931年に出版した。ところが、実に多様である高木文学はほとんど知られておらず、また「方言詩」のうちに入らない作品が既存の研究では取り上げられていない。そこで、満洲日本語文壇の一人としての高木について研究を行っている。

 これまで、発表者の満洲日本語文学論において、「マイナー性」を解析することを目的としてきた。「動物や植物になる者」というテーマを認識し、入植者が大陸の風景に合体する、あるいは人間性を喪失する、といった比喩が用いられることを指摘した。本発表では、試行的に、エコクリティシズムの観点から、高木の満洲文学に目を向ける。家畜、野生の動物、樹木、細菌(結核、ペスト、梅毒)、身体が変化する人間など、幅広い題材を扱った高木文学だが、自然界を通していかに満洲を描いたかという点について、高木のマイナー性や政治性について紹介する。

[特集発表①]要旨

〈13:25 〜 13:50〉

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』における満州・シベリア

大野建(北海道大学大学院)

 村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(新潮社、1994-1995年)は、ノモンハン戦争を中心に第二次世界大戦を題材に取ったことで有名である。それまでの村上作品には見られない歴史的事件の凄惨な描写が評価される一方で、失踪した妻を探す現代のストーリーとの繋がりの曖昧さは議論を集めてもいる。小説で語られる歴史は主人公によって捉えられた一種のフィクションであり現実の歴史的事実との関わりはなく、戦争は都合のいい題材に過ぎないと見なす論者もある。だが、湾岸戦争下に渡米し日本のあり方を問われる中で戦後日本と戦争の関係を考えざるをえなかった村上にとって、歴史を現代の中に息づくものとして小説に用いることは必然的な方法である。『ねじまき鳥クロニクル』における満州・シベリアでの戦争体験談は、村上の小説技法とあわせて再度検討される必要がある。エッセイ等で語られる『ねじまき鳥クロニクル』の方法を検証し、本作の歴史叙述の意味を明らかにする。このことは村上が考える戦後日本の問題の中の満州・シベリアでの戦争の歴史の位置を考えることに繋がる。